リスクマネジメントが会社を救う。

カルロス・ゴーン社長(日産自動車)のリスクマネジメント

1999年3月カルロス・ゴーンは副社長兼COOとして日産自動車のリスクを引き受けました。着任後COO社長に昇格し1001年5月期にはV字回復を果たしました。

V字回復の要因は危機に対する意識改革でした。

(4つの要因)

1.危機意識を持つ(危機感の共有)

2.わかり易い目標を設定する。「日産リバイバルプラン」等具体的で明確な目標を持つこと

3.良識に基ずくこと(日本ではこのようにするなどの文化的障害をなくし、日本もフランスも同じという良識をもつこと)

4.内部で問題点を解決すること(組織内部の構成員自らが現状の問題点を具体的に把握し問題解決案を策定すること)

5.クロス・ファンクショナル・チームの結成(問題解決のため異文化・異能種のメンバーにして問題解決を検討しました)

6.数値に強くなり内外に提示できるようにすること

7.明確なコミュニケーション:危機感共有・現状の問題点把握と理解・解決を共有

8.日産らしいアイデンティティーを失わないこと

9.責任感:明確な責任系統の確立

10.従業員の動機付け

 ①ビジョンの共有と明示

 ②信頼できるオプションの提示

 ③オーナー意識:再建計画に責任をもって参加しているという意識付け

 ④コミットメントを達成したものに対する公正な評価システム

そして達成するために「3つのC」を提案します。

1.チョイス(リーダーの選択・決断)

Ⅱ.コミュニケーション(危機感を共有)

Ⅲ.コーディネーション(優先順位の決定と問題解決のためのコミュニケ―ション)

 

日産自動車における地震保険対策(日産におけるリスク管理の状況について-抜粋)

日産自動車は、リスクマネジメントを構築しアセスマネジメントを徹底しました。地震BCPマニュアルを策定し訓練を計画的に実施した結果、東日本大震災では避難場所の提供など逸早く再建し地域の支援に貢献しました。

日産自動車の地震BCP

地震を最も危機的リスクとして、企業の持続性のある成長として取り組みました。

2003年経営会議で「地震対策会議」を決定

2007年リスクマネジメントのプロセスを構築しリスクを開示。同年新潟沖地震発生からCOOを本部長としてシュミレーションによる訓練を実施

2010年有価証券報告書でリスクマネジメント活動を開示

2011年東日本大震災発生(2月27日地震訓練を実施ていました。)

同年5月17日全面復旧。自動車業界では最も早い全全復旧となりました。

(復旧)

・安否確認:1日で完了

・帰宅困難者:直ちに受け入れました。

・3月29日ゴーン社長いわき工場視察

ここをクリック:日産自動車のリスクマネジメントを参照してください。

日産自動車カルロス・ゴーンの不正

日産自動車は11月22日の臨時取締役会で、カルロス・ゴーン容疑者の会長職と代表取締役の解任を決め、1999年に最高執行責任者(COO)に就任して以来、19年間にわたる「ゴーン支配」が事実上終わった。自らの不正で晩節を汚し、経営の一線を去る「カリスマ経営者」が残した功罪は大きい。【和田憲二、大久保昂】

日産自動車(本社・横浜市)のカルロス・ゴーン会長(64)が役員報酬を実際より約50億円少なく見せ掛けたとして、東京地検特捜部は19日、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いでゴーン容疑者を逮捕した。また同社の代表取締役グレッグ・ケリー容疑者(62)も逮捕。同社本社などを家宅捜索した。特捜部は2人の認否を明らかにしていない。

カルロス・ゴーン会長

 日産によると、同社は内部通報を受けて数カ月間の内部調査を実施。ゴーン容疑者には役員報酬の過少申告のほか、目的を偽った投資資金の支出や、私的な経費支出といった複数の重大な不正が認められた。ケリー容疑者も深く関与しており、検察に情報提供したという

 「彼は短期的な再建請負人。経営戦略など描けない」。ゴーン前会長の着任当時の元役員は社内に当初、そんな見方があったと明かす。だが、評価はすぐに変わる。就任1年目の99年度に6843億円の赤字だった連結最終(当期)損益を1年で3310億円の黒字に転換させたからだ。「黒字化できなければ全取締役が辞める」。そうたんかを切って乗り込んだゴーン前会長は、「V字回復の立役者」としての名声を手にした。

自ら主導した再建計画「日産リバイバルプラン」では、代名詞とされる「コストカット」の一環で全従業員の14%に当たる2万1000人をリストラ。調達先も半減させ、発注を増やす代わりに値下げを迫った。系列部品メーカーとの取引は、日本の自動車産業の技術や品質を支える面もあるが、「それを高コストの温床とみなして破壊する判断はゴーン前会長だからこそできた」(当時を知る経済産業省OB)と今でも評価されている。

「ニッサンリバイバルプラン」(経営再建計画)

 ・車両組み立て工場3か所閉鎖

 ・部品工場2か所閉鎖

 ・グループ人員21,000人解雇

 ・下請け工場半減

 だが、業績回復の陰で2005年に日産社長とルノーの最高経営責任者(CEO)を兼務したころから独裁色が強まっていく。北米に比べて国内事業の収益目標が厳しいと指摘したある役員は「『私の成果が上がらないじゃないか、逆らうのか』と激高された」という。電気自動車(EV)の走行距離を補うための小型発電機の搭載を巡っては「複数の役員が搭載すべきだと考えていたが、コスト増を嫌うゴーン前会長にそんたくして役員会では誰も言い出せなかった」(別の元幹部)。

 一方、ゴーン前会長は日産にとってルノーからの独立性を保つ「防波堤」という側面もあった。資本提携の翌年に、ルノーから水面下で経営統合を打診された際には、効果が小さいとする報告書を用意して強硬に反対したという。15年ごろから仏政府がルノーを通じて日産への関与を強めようとすると「仏政府がルノーの株主にとどまる限り日産はいかなる資本構成の移動も受け入れない」と猛反発した。

 だが、今年2月にルノーCEO再任の方向が決まってからは統合を否定しなくなった。ゴーン前会長は逮捕される直前、ルノーと日産の統合を画策していたとも報じられている。事実なら日産にとってゴーン前会長の役割は終わったとも言える。

 20年弱に及んだワンマン支配。ゴーン前会長とともに代表取締役として経営を担った経験のあるOBは「当初は彼をルノーの回し者とみなしていた。しかし、私的な野心や利益のためだったとはいえ、必死に日産を大きくした姿には感謝している面もある」と複雑な心境を語る。そしてこう自戒した。「日産は自分たちの運命を自分たちで決められない会社にしてしまった。責任は私たち歴代経営陣にある」